70歳、孤独という名の「ろくろ」を回す日々

「孤独だね」と言われれば、否定はしません。
70歳、一人暮らし。今日一日、誰とも言葉を交わさないことなど珍しくもありません。
しかし、この静寂の中にいる私は、決して「暇」ではないのです。
70歳一人暮らし、「孤独」という名の贅沢な言い訳。
陶芸家のような「没頭」への憧れ
私は、何かに深く没頭している人の姿が好きです。
例えば、一心不乱にろくろを回す陶芸家。土の感触だけを頼りに、指先に神経を集中させ、形を整えていく。
その間、彼の頭の中から「世間体」や「孤独」といった雑念は消え去っているはずです。
私も、そんな風に生きたい。
誰かに評価されるためではなく、ただ自分の好きなことの中に、自分自身を沈めていたい。
その願いを叶えてくれたのが、私にとっては「ブログを書くこと」であり、「YouTubeの動画を作ること」でした。
「邪魔されない」という究極の贅沢
「誰とも会わないし、話さない」
それは世間から見れば寂しい境遇かもしれません。
しかし、裏を返せば、それは「思考を中断されない」という、創作者にとって最高の贅沢を手にしていることでもあります。
朝起きてから、ブログの構成を練る。YouTubeのカット割りを考える。
誰にも邪魔されず、自分のリズムで、好きな時に好きなだけ時間を使える。
このわずらわしさのない自由を一度知ってしまうと、孤独はもはや「耐えるもの」ではなく、積極的に「活用するもの」に変わります。
これを「孤独から逃げるための言い訳だ」と笑う人がいるなら、そう思われても構わない。
私はただ、自分の人生の残り時間を、何かに没頭することで満たしていたいだけなのです。
上達しない作品と、愛おしい日々
もちろん、現実はそう甘くはありません。
毎日せっせと書き、投稿し続けていても、私の作品は一向に上達しません。
数ばかりが増えていく自分のブログや動画を眺めては、「読者も視聴者も、この不器用さに呆れているのではないか」と苦笑いすることもしばしばです。
プロの陶芸家なら、不出来な器は割ってしまうのでしょう。
けれど、私は下手なりに、その「不器用な足跡」を愛おしく思っています。
上達することよりも、没頭しているその瞬間の手応えこそが、今の私の生きてる証だからです。
自由を支える土台への感謝
もちろん、こうした「孤独の自由」を謳歌していられるのは、長年働いてきた証である年金9万円というベースがあってこそだということも、忘れてはいません。
もし生活の不安に追われていたなら、これほど穏やかに「没頭」を楽しむ心の余裕は持てなかったでしょう。
このささやかな公的保障があるからこそ、私は安心して心の「ろくろ」を回し、下手な作品作りに没頭できる。
そのありがたさを噛み締めながら、私はこの贅沢な孤独を、精一杯使い切りたいと思っているのです。
孤独を、自分だけの聖域に
70歳の今、私が手に入れたのは、孤独という名の「聖域」です。
誰とも話さないおかげで、私は自分自身の声に耳を傾けることができています。
もし、あなたが独りでいることに不安を感じているのなら、ぜひ「没頭できる何か」を探してみてください。
それは人から見れば、孤独を埋めるための言い訳に見えるかもしれません。
けれど、没頭の果てに見える景色は、案外悪くないものです。
私は明日もまた、誰にも邪魔されない時間の中で、自分だけの「ろくろ」を回し続けます。
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