
ひと昔前なら、YouTubeに動画を投稿するなんて専門知識を持った若者の領域だと思っていた。
「外国人が日本の新幹線に感動した」という素晴らしいエピソードを動画にしたいと考えても、現実の壁は高すぎる。英語が話せるわけでもなく、直接取材する機会もない。
たとえ写真や映像を手に入れたとしても、著作権や肖像権のハードルが立ちふさがり、個人の趣味レベルでクリアするのはほぼ不可能だった。
しかし、生成AIの登場によって、その常識は呆気なく覆された。
つたない文章で書いた原稿を渡せば、AIが分かりやすくドラマチックな台本へと整えてくれる。
思い描く「英国人女性」のイメージを伝えれば、実写と見間違えるような人物画像を一瞬で生成してくれる。
さらに動画編集ソフトのVrewを使えば、VOICEVOX(波音リツ)などの自然なAI音声でナレーションがつき、雰囲気に合ったBGMまで自動で選んでくれるのだ。
つまり今や、「英語ができない」「撮影機材がない」「編集のスキルがない」といった技術的な悩みは、すべてAIが解決してくれる時代になった。
極端な話、動画を作るだけであれば、70代からでもボタン一つで簡単に始められる。
だが、実際に動画を一本完成させてみて、大きな気づきがあった。
「動画を作ること」自体が誰でもできるようになったからこそ、本当に大切なものが浮き彫りになったのだ。それは「どんな台本を書くか」という物語の力である。
カメラや編集の技術が不要になった今、動画の面白さを決定づけるのは「どんなストーリーで視聴者の心を惹きつけるか」という企画と構成力に他ならない。
どれだけ綺麗なAI画像や滑らかなAI音声を使っても、台本が退屈であれば、誰の目にも留まらない単なる「自己満足の動画」で終わってしまう。これはテレビドラマやCM制作の本質と全く同じだ。
AIは「クリエイターの表現を手助けする強力な道具」であって、作品の核となるアイデアまで丸投げできる魔法ではない。
「道具」を手に入れた70代の私は、今日も画面に向かい、どうすれば視聴者が「なるほど」と楽しんでくれる物語が書けるかを考えている。
技術の壁が消えた今、年齢に関わらず誰もが「物語の伝え手」になれる面白い時代がやってきたようだ。
