熟年離婚の先に待つ「一人の荒野」を、50年独身の私が見つめてみたら

最近、世間では「熟年離婚」という言葉をよく耳にします。
長年連れ添ったパートナーと別れ、人生の最終コーナーを一人で曲がる決断。その背景には、言葉では言い尽くせない葛藤や、積み重なった心の澱(おり)があるのでしょう。
私はといえば、20歳から50年間、ずっと一人で生きてきました。結婚という扉を叩くことなく、気がつけば70代。いわば「一人暮らしのプロ」です。
そんな私の目から見た、熟年離婚という選択について少しお話しさせてください。
離婚は「終わり」ではなく、自分を取り戻す「始まり」
熟年離婚を決意する人の多くは、相手が嫌いになったという以上に「残りの人生を自分らしく生きたい」という切実な願いを抱えているように見えます。
長年、誰かの妻であり、母であり、あるいは家族を支える大黒柱として「自分」を後回しにしてきた。その役割を脱ぎ捨てて、真っさらな自分に戻る。
それは、とても勇気のいる、尊い「再生」の儀式なのだと感じます。
一人のプロが教える「孤独」との正しい握手の仕方
離婚を迷う人の最大の壁は「一人の寂しさへの恐怖」ではないでしょうか。
50年一人で生きてきた私から言わせれば、孤独は決して「敵」ではありません。最初は夜の静けさに戸惑うかもしれませんが、慣れてくればそれは「究極の安らぎ」に変わります。
誰にも気兼ねせず、自分のためだけにお茶を淹れ、好きな時間に筆を走らせる。その贅沢を知った時、孤独は「孤高」という誇りに進化するのです。
「自由」を維持するために必要なのは、小さな稼ぐ力
熟年離婚の後、現実的に立ちはだかるのはお金の問題です。年金分割があるとはいえ、一人で暮らしていくには心もとないこともあるでしょう。
私が60代から「ネットで稼ぐ研究」に没頭してきたのは、この「自由」を守り抜くためでした。
月数万円でも、自分の力で稼ぐ術を持っていれば、それは単なる生活費以上の「精神的なお守り」になります。
一人の自由を支えるのは、やはり自立した経済力なのです。
家族がいてもいなくても、最後は「個」として立つ
結婚していても、離婚していても、あるいは私のようにずっと独身であっても。結局のところ、人間は最後は一人で自分の人生と向き合うことになります。
熟年離婚という道を選んだ人は、その「個として立つ」という覚悟を人より少し早く、能動的に決めただけ。その決断を、誰が責めることができるでしょうか。
まとめ:どんな風が吹いても、自分の足で立っていれば大丈夫
「明日は明日の風が吹く」
たとえそれが、今までとは違う冷たい風に感じたとしても、大丈夫です。
一人の生活には、それを補って余りある「心の静寂」と「自分自身との対話」があります。
50年一人で生きてきた私が、今こうして70代を元気に、自由に謳歌している姿が、新しい一歩を踏み出そうとするあなたの、小さな安心材料になれば幸いです。
ビッグ友老後100まで!ホームへ戻る
