「老後2,000万円」の計算式に、孫は入っていますか?

「老後資金は2,000万円あれば足りる」
国が発表したその数字を、私たちはどこか他人事のように眺めていました。
けれど、実際にその年齢に達して気づくのは、その計算式には致命的な「欠落」があるということです。
それは、自分の生存コストではなく、家族という形を維持するためのコスト。
すなわち「孫資金」です。
ニュースで流れる年金受給額の平均を見て、「なんとか食べてはいける」と胸をなでおろす。
しかし、ひとたび「じいじ、ばあば!」と玄関のチャイムが鳴れば、その安堵は一瞬で吹き飛びます。
「1万円」という名の、無言の入場料
今の時代、孫を連れて外食に行けば、支払いは当然のようにシニア持ちです。
回転寿司の皿が積み上がり、デザートを注文し、帰り際におもちゃ屋へ寄り、最後に「これで何か買いなさい」と、シワの寄った指でお金を渡す。
一回一万円。
それは、私たちが一週間、あるいは十日間、スーパーの特売品を駆使して守り抜いた食費とほぼ同額です。
「あげなければいいじゃないか」と、独り身の気楽さで言うのは簡単です。
けれど、低賃金と物価高に喘ぐ子世代の苦労を目の当たりにすれば、「親として少しでも足しになれば」という使命感が首をもたげる。
そして何より、孫にだけは「お金がない寂しい老人」と思われたくない。
この「見栄」と「愛情」が入り混じった複雑な感情こそが、年金を蝕む一番の正体なのです。
ニュースにならない「孫資金500万円」の正体
もしも孫が二人、三人と増え、中学、高校、大学と進学していく中で、入学祝いやお年玉、そして日々の「ちょっとした援助」を積み重ねていけば、総額500万円など、あっという間に溶けていく数字でしょう。
老後2,000万円が「自分の胃袋」を守る盾だとしたら、孫資金500万円は「家族の中の自分の居場所」を守るための、いわば通行料のようなものです。
自分の歯を治すのを先延ばしにし、擦り切れた上着を「まだ着られる」と笑ってごまかし、捻出したその一万円。
孫が喜び勇んで握りしめるその紙幣には、おじいちゃん、おばあちゃんの「意地」が染み込んでいます。
幸せの後に残る、静かな「むなしさ」

孫が去った後の、嵐が過ぎ去ったような静かなリビング。
ふと財布の中を確認し、残り少なくなった千円札を数えるとき、私たちはふと思います。
「この愛情の示し方は、本当に正しいのだろうか」と。
人生100年時代
自分の命を維持するだけで精一杯の国で、私たちは「孫の笑顔」という、世界で一番高価で、世界で一番尊い贅沢を買い支えている。
その矛盾に満ちた背中は、今日も夕日に照らされて、少しだけ丸くなっているのです。
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