70歳、ひとり暮らし。特に自慢できるほどの趣味はないが、日々を淡々と過ごしている。
テレビやYouTubeを観ることで時間を消費しながらも、この時代の便利さを享受し、穏やかに暮らしている。
昔と比べて生きやすくなったことを実感しつつ、時には何気ない日常を振り返ることもある。

便利な時代に生きる
今の時代は確かに便利だ。ひとり暮らしでも不自由なく過ごせるのは、様々な技術の進化があってこそだろう。
しかし、便利すぎることで、本来必要のないことに時間を費やしてしまうこともある。
例えば、スマホで写真を撮ることは楽しいが、撮影した写真を見返すことはほとんどない。
それでも、撮る瞬間の楽しさに意味があるのかもしれない。
「昔は良かった」とは思わない
よく「昔は良かった」と言う人がいるが、果たして本当だろうか? 私自身は「昔はつらかった!今は本当に素晴らしい時代だ!」と感じている。
昔は良かったという場合、10年前、20年前、あるいは子供の頃や学生時代など、その人にとって特に良い思い出がある時期を指すことが多い。
バブル景気の頃、高度経済成長期、あるいは特定の政治体制や文化が栄えた時代など、社会全体が良い方向に向かっていたと感じられる時期を指すこともある。
あるいは技術が今ほど発達しておらず、もっと人間らしい繋がりがあったと感じられる時代かも知れない。
つまり、「昔は良かった」の「昔」は、その人の心の中に存在する理想的な過去を指す曖昧な表現である。
今は便利な世の中になり、経済や情報の自由度も増した。若い頃は苦労も多かったが、今は穏やかに過ごせることに感謝している。
70歳の日常
私の日常は結構規則的である。毎朝6時過ぎには起床し、経済番組を観ながら朝食をとる。
「新NISA」が話題になった頃から投資に興味を持ち、69歳から積立投資を始めた。
毎月2万円の積み立てを続けることで、お金が増える仕組みを学びながら、脳への刺激にもなっている。
昼間はNHKのBSで大谷翔平や山本由伸、佐々木朗希の野球中継を楽しむことが多い。
試合展開に一喜一憂しながら、昼過ぎまで試合を観てしまうこともある。
午後は散歩とスーパーへの買い出しが唯一の運動になっている。
変わらない日々、それでも楽しみはある
夕方になるとまたテレビをつける。
年金が入る偶数月の15日はありがたい。そして奇数月には「大相撲」が始まるのが楽しみだ。
日々は変わり映えしないが、それでも毎月何か一つは楽しみがあることが救いだ。
夕食を終える頃には、「水戸黄門」や韓国ドラマを観てリラックスし、YouTubeを観ながら時間を過ごす。これが私の夜のルーティンだ。
無趣味であっても、感謝の気持ち
こうした単調な生活が続くことに、不満はない。
50代で職を失い、60歳時点で貯金ゼロという状況から、月9万円の年金で生活を続ける。
60代は趣味を持つ余裕はなかったが、無趣味であっても日々を楽しむ方法はある。
収入を得るために全力で駆け抜けた60代があったからこそ、今こうして穏やかな毎日を過ごせることに、感謝の気持ちが持てる。
60代は年金ももらえるし、まだまだ元気だ。諦めなければ何とかなるものだ。
まとめ
無趣味であることを悲観する必要はない。日々の些細な楽しみが、生活の中にある。
たとえ何の変哲もない日々でも、それが続くこと自体が幸せなのかもしれない。
70歳のひとり暮らし、趣味はなくても満ち足りた時間を過ごしているのだ。
自由に生きる一人暮らし「毎日が変わりない日々の繰り返し」の末路
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