羊を失うのはいつも、叫び声を信じた国民たちだった

イソップ寓話の「オオカミ少年」は、嘘をつき続けた少年が誰にも信じてもらえなくなり、最後には羊をすべて失うという教訓話です。
しかし、今の日本の選挙という舞台でこの物語を読み直すと、少し違う、皮肉な配役が見えてきます。
「公約」という名の叫び声
20歳のあの日から50年。私たちが投票所に足を運ぶたび、候補者たちは喉を枯らして叫んできました。
「景気を良くします!」
「暮らしを楽にします!」
それは、街に響き渡る「狼が来たぞ!」という叫び声によく似ています。
国民(有権者)は、その声を信じて駆けつけます。
自分たちの生活という「羊」を守るために、一票という名の武器を持って。
しかし、その中に「オオカミ少年」がいて、いいことばかり言っている人がいます。
あなたはそんな「オオカミ少年」みたいな人に賛同してませんか?
当選という幕が下りた後、街に平穏が訪れるのは、叫んでいた本人たちだけでした。
相変わらず、米が高い、物価が高くなったとぼやくだけです。
肥えていく少年と、痩せていく羊
物語の少年は、嘘の報いとして羊を失いました。しかし、現実の選挙という物語では少し様子が異なります。
「狼が来た(公約)」と叫ぶ人たちは、当選するたびに立派な肩書きを得て、その生活は確実に潤っていきます。
一方で、彼らを信じて駆けつけた私たちの生活は、50年前と比べてどうでしょうか。
前回の選挙後、あなたの生活はどう変わりましたか?
何とか生活はできている
「何とか生活はできている」という言葉の裏には、期待を裏切られ続け、それでも自分たちの足で立つしかないという、静かな、しかし強い怒りが隠れています。
私たちは、少年の嘘によって羊を失う「村人」の役を、半世紀も演じ続けてきたのかもしれません。
それでも一票を投じる、私たちの「諦め」と「自尊心」
「今回もまた、あの人たちの生活を良くするために一票を投じる」 この言葉は、皮肉を通り越して、ある種の達観さえ感じさせます。
狼が来ると言われても、どうせ来ない。来るのは熊。本当に怖い狼はもう街の中に隠れているのかもしれない。
それでも私たちが投票所へ向かうのは、彼らを信じているからではなく、「信じようとした自分」を捨てきれないから。
そして、何もしなければさらに事態が悪化するという、かすかな恐れがあるからではないでしょうか。
次の「狼が来たぞ!」をどう聞くか
オオカミ少年の教訓は「嘘つきは信用されない」ですが、今の私たちに必要な教訓は「叫び声の主を、肥え太らせるだけで終わらせない」ことかもしれません。
50年目の投票。それは「あの人たち」を幸せにするための儀式ではなく、いつか本当に「私たちの羊(暮らし)」が守られる日を諦めないための、最後の抵抗であってほしいと願わずにはいられません。
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