
「疑わずにいられる」という、贅沢すぎる奇跡について
街角に置かれた無人の野菜販売所、カフェの席にぽつんと置かれた財布やスマートフォン、そして「少々お待ちください」の言葉を言葉通りに受け取れる日々。
日本で暮らし慣れてしまった私たちは、これらを「当たり前の風景」として見過ごしています。
しかし、ひとたび海を渡ってやってきた外国人の目に、この光景はどう映っているのでしょうか。
彼らの母国での暮らしは、言うなれば「世界に対する常時警戒態勢」です。
タクシーに乗れば遠回りをされないかメーターを監視し、お釣りを受け取れば枚数を確かめ、カフェで立ち上がる時は荷物を抱え込む。
それは悪意に満ちた社会だからではなく、己の身を守り生き抜くための、あまりにも人間的な「知恵」であり防御本能でした。
彼らは決して、最初から誰も彼もを疑いたかったわけではありません。生きるために「疑うことを知らざるを得なかった」のです。
そんな彼らが日本に降り立ち、月日を重ねるうちに、心の中に小さな変化が訪れます。
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最初は「なぜ誰も荷物を盗まないのか」「なぜこの店員は裏表なく親切なのか」と戸惑い、警戒の網を張り巡らせています。
けれど、どれだけ疑いの目を向けても、裏切られることがない。
やがて、こわばっていた心の筋肉が、ゆっくりと解けていきます。
人を疑わなくていい。お店を疑わなくていい。足元をすくわれないか怯えなくていい。
「疑わない」ということは、実は人間にとって最大の贅沢であり、最高の解放なのです。
私たちはよく「日本は安全だ」「接客が丁寧だ」と自慢げに語ります。
しかし、私たちが気づいていない日本の真の凄みは、そうした制度や表面的な治安の良さではありません。
「他者を信じたまま生きていける」という、あまりにも奇跡的な精神的平穏を、この街全体が提供していることにあります。
母国で疲れ果て、防具をガチガチに固めてやってきた人々が、日本の街角で少しずつその鎧を脱ぎ捨てていく。
自分でも気づかないうちに浮かべた穏やかな表情こそが、私たちが誇るべき、そして決して失ってはならない「日本の本当の姿」なのかもしれません。
