熟年妻の「ため息」の正体。なぜ愛は「疎ましさ」に変わるのか

前回の記事では、独り身の気楽さを自慢してしまいましたが、今回は少し「向こう岸」の事情に耳を傾けてみましょう。
巷のブログを覗くと、そこには「夫が嫌い」という言葉が溢れかえっています。
一体なぜ、かつて愛を誓ったはずの男性が、年を重ねるとこれほどまでに疎まれてしまうのでしょうか。
女性たちの本音を覗くと、そこには「積小為大(せきしょういだい)」……つまり、長年の小さな不満の積み重ねが見えてきます。
理由の一つは、どうやら「変化への対応力」の差にあるようです。
女性は年齢とともに生活や人間関係をアップデートしていきますが、男性は定年後も「会社員時代の特権意識」を引きずったまま家に居座りがち。
「飯はまだか」「あれはどこだ」……。
妻をパートナーではなく、無給の秘書か家政婦のように扱う。
その「無意識の傲慢さ」が、妻の心に少しずつ、でも確実に毒を盛っていくのです。
女性側からすれば、「もうあなたの定年と一緒に、私の家事も定年にさせてよ!」というのが本音なのでしょう。
夫婦喧嘩の原因はどちらにある?「引き金」と「弾丸」の法則
そこで勃発するのが、お馴染みの「夫婦喧嘩」です。
ところで、夫婦喧嘩の原因って一体どちらにあるのでしょうか?
よく「喧嘩両成敗」なんて申しますが、客観的に眺めていると、どうもそう単純ではない気がします。
喧嘩の引き金を引くのは、案外「男性の無神経さ」であることが多い。
しかし、その引き金に弾丸を込めていたのは、長年耐え忍んできた「女性の忍耐」だったりします。
夫は何気ない一言のつもりでも、妻にとっては「30年分の恨み」を爆発させる最後の一滴になる。
原因は「今、この瞬間」にあるのではなく、これまでの「歴史」にあるのです。
そう考えると、喧嘩の原因は「どちらか」にあるのではなく、二人の間に流れた「時間の使い方のミス」にあるのかもしれません。
喧嘩ができるのは、まだ「地獄の門」の前だから
私のような独り身は、喧嘩をする相手すら鏡の中にしかおりません。
「どちらが悪い」と責め立てる相手がいること自体、実はものすごくエネルギーの要る、贅沢なことのようにも思えてきます。
だって、本気でどうでもよくなったら、人は喧嘩すら選ばず、黙って「心のシャッター」を下ろしてしまいますから。
今日もどこかで、「ごめんで済んだら警察はいらないわよ!」という奥様の怒号が響いているかもしれません。
喧嘩ができるうちは、まだ「地獄の門」の前で踏みとどまっている証拠。
……なんて言うと、今戦っている当事者の皆さんには「無責任だ!」と怒られてしまうでしょうか。
ぜひ、コメント欄で皆さんの「喧嘩の作法」を教えてください。
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