元写植オペレーターの人生
元写植オペレーターの方々は、版下製作や写植の仕事がなくなったあと、どんな人生を歩んでいるのでしょうか。
もしかしたら、元版下製作や写植オペレーターだった人が、このブログを読んでいるかも知れないと思い、昔の仕事を思い出しながら、いまホームページやブログを書いています。
版下製作や写植オペレーターの仕事といっても、もう存在感もなくなった働き方ですから、知る人ぞ知る過去の職業になってしまいました。
今の50代から60代以降の人なら、版下製作や写植オペレーターの仕事を知っていたり、実際に経験したことのある方もおられるかもしれません。
わたしはいま69歳ですから、およそ40年前の20代から30代くらいに、版下製作や写植オペレーターの仕事をしていました。
その元写植オペレーターが、40代から50代で不慣れな職業を経験し、50代後半で無職になってしまったのです。
この時からホームページ作りを覚えて、60歳からアフィリエイトという道を歩んでいます。
写植全盛期から90年代以降の大変革時代を生き抜いた経験談
写植が隆盛を極めた時代から、90年代以降の激動期をどのように乗り越えてきたのか、私の経験を元に分かりやすくお話しします。
時代背景:写植激変の波
バブル崩壊を機に不況が日本を襲いました。当初、多くの経済アナリストは単なる景気循環による不況と見ていましたが、実際は日本経済全体の構造的な変化、地殻変動が起きていたのです。
国内製造業が中国や東南アジアへ生産拠点を移し、国内の仕事が減少する「産業の空洞化」と、印刷を含むデザイン業界のシステム変革が同時に進行していました。
バブル崩壊後の約10年の間に、写植を含む手作業のデザイン・版下作業が衰退し、DTP(Desk Top Publishing)への移行が急速に進みました。
デザイン業界における変革:明暗の分かれ道
デザイン業界において、DTPの登場は絵や文字の苦手な人にとっては朗報でしたが、デザイン関連に携わるカンプ制作やレタリング技術を持つ人々にとっては死活問題となりました。
写植業者は次々と倒産・廃業に追い込まれたのです。特にワープロ専用機の登場で大きな打撃を受けたのは、清刷タイプ(和文タイプ)業者でした。
その後、デザイン業界にMacintoshが普及し、写植業者、版下業者、トレース業者、エアブラシ業者といった職人たちは仕事を失いました。
中にはMacintoshを購入して時代の変化に対応しようとした人もいましたが、このような状況下で、写植オペレーターとして仕事を続けることは非常に困難となり、「絶滅危惧種」となったのです。
90年代以降の大変革への対応:苦難の時代
アナログ作業からデジタル環境への移行は、40代以上の人々にとって試練の時代となりました。
若い世代の一部を除き、この変化を乗り越えられた人は、ほとんどいなかったと言っても過言ではありません。
私自身も新たな道を探して、全く別な職業についてみたものの、40代から50代の人生が大きく変わってしまいました。
写植オペレーターは過去の仕事になった
写植オペレーターは、印刷物の文字を写植機を使って組版する仕事です。
写植機は、ガラス板に文字の原型のフィルムを挟み込んだ「文字盤」に、光を当て、写真の原理でシャッターを切り、暗箱にセットされた印画紙に焼き付けそれを現像する事により、印刷物の版下となる印画紙を作るシステムで、文字の大小、長体、斜体等はレンズを切り替える事で対応します。
写植オペレーターの仕事は、写植機を使って、原稿通りに文字を組版し、版下を作ることです。
写植オペレーターは、文字のサイズや位置、行間などを調整し、美しく読みやすい組版をする必要があります。
また、写植オペレーターは、文字の種類や書体にも詳しくなければなりません。
写植オペレーターの仕事は、印刷業界では重要な仕事でしたが、DTPソフトの普及により、現在ではほとんどの写植オペレーターの仕事がコンピュータ化されています。
そのため、写植オペレーターの仕事は、現在ではほとんど無くなっています。
手動写植オペレーターの末路
手動写植という職業の終焉がやってきました。これは、技術革新による時代の変化を象徴する出来事と言えるでしょう。
手動写植とは
まず、手動写植とは何かを簡単に説明します。これは、写真の原理を利用して文字を印画紙に焼き付けることで印刷物の版下を作成する技術です。
オペレーターは、文字盤から文字を選び、レンズを通して印画紙に露光させる作業を行います。文字の大きさや書体、配置などを手作業で調整する必要があり、高度な技術と集中力が求められる仕事でした。
手動写植オペレーターの仕事
手動写植オペレーターの仕事は、単に文字を打ち込むだけでなく、文字の配置や行間、字間などを調整し、美しい版面を構成する役割も担っていました。
そのため、美的センスや組版に関する知識も必要とされ、まさに職人技と言える仕事です。
手動写植の衰退とオペレーターの末路
1990年代以降、DTP(Desk Top Publishing)システムの普及により、手動写植は急速に衰退しました。
DTPシステムは、コンピュータ上で文字の入力や編集、レイアウトなどが自由に行えるため、手動写植に比べて作業効率が格段に向上しました。
また、多様なフォントや表現が可能になったことも、DTP普及を後押ししました。
この技術革新により、手動写植オペレーターの仕事は激減し、多くの方が職を失ったのです。
手動写植からDTPオペレーターへ
手動写植オペレーターからDTPオペレーターへの転身、他の印刷関連業務への異動、あるいは全く別の分野への転職などを余儀なくされました。
まさに「手動写植オペレーターの末路」と言える状況です。
しかし、手動写植オペレーターが培ってきた技術や精神は、決して無駄になったわけではありません。
手動写植オペレーターの技術と精神
手動写植オペレーターが持っていた文字に対する深い知識、組版のセンス、そして何よりも「美しいものを作りたい」という職人魂は、DTPの時代にも受け継がれています。
現在でも手動写植で作成された書体は、デジタルフォントとして現代に蘇り、広く活用されています。
手動写植オペレーターの末路は、技術革新の波に飲み込まれた職業の典型的な例と言えるでしょう。しかし、手動写植オペレーターが残した技術と精神は、現代の印刷・デザイン業界に大きな影響を与えています。
電算写植オペレーター
電算写植オペレーターとは、手動写植に代わって登場した電算写植システムを操作し、印刷物の版下を作成する仕事です。
手動写植が文字盤から文字を選び、レンズを通して印画紙に露光させるという手作業中心だったのに対し、電算写植ではコンピュータを用いて文字の入力、編集、レイアウトなどを行います。
電算写植とは
電算写植(でんさんしゃしょく)とは、コンピュータを用いて文字を印画紙やフィルムに焼き付けることで印刷物の版下を作成するシステムです。手動写植に比べて作業効率が大幅に向上し、より多様な表現が可能になりました。
電算写植オペレーターの仕事内容
電算写植オペレーターの主な仕事内容は以下の通りです。
文字入力: 専用の端末やコンピュータを用いて、原稿に基づいて文字を入力します。
書体・サイズ指定: 文字の種類(書体)、大きさ(級数)、太さなどを指定します。
レイアウト: 文字の配置、行間、字間などを調整し、版面を構成します。
データ出力: 作成したデータを印画紙やフィルムに出力します。
手動写植オペレーターとの違い
手動写植オペレーターは、文字盤から文字を選び、レンズを通して印画紙に露光させるという手作業が中心のため、高度な技術と集中力が必要とされました。
一方、電算写植オペレーターは、コンピュータを操作して作業を行うため、手作業の負担は軽減されましたが、コンピュータ操作のスキルや組版に関する知識が求められたのです。
電算写植のメリット
作業効率の向上: 手動写植に比べて作業時間が大幅に短縮されました。
多様な表現: 多様なフォントや文字の変形が可能になりました。
修正の容易さ: コンピュータ上で編集するため、修正が容易になりました。
電算写植オペレーターの末路
DTP(Desk Top Publishing)システムの普及により、電算写植もまた衰退していきました。
DTPシステムは、コンピュータ上で文字の入力からレイアウトまでを統合的に行えるため、電算写植に比べてさらに作業効率が向上したのです。
電算写植オペレーターは、DTPオペレーターへの転身、他の印刷関連業務への異動、あるいは全く別の分野への転職などを余儀なくされました。
電算写植オペレーターは、手動写植からDTPへの移行期において、印刷業界の近代化に貢献した重要な役割を担っていたのです。
手動写植や電算写植オペレーターが培ってきた技術や知識は、現代のDTPオペレーターにも受け継がれています。
元写植オペレーターの人生は終わった
いま思えば写植という仕事は、時代の末端に差し掛かっていたころでした。
写植オペレーターって何?
逆さになった文字がガラスの文字盤のなかにあり、メインプレートと呼ばれる約3000字の文字配列は「一寸ノ巾」という並びになっています。
「一寸ノ巾」方式とは、漢字の部首順の配列で「一・寸・ノ・巾・ナベブタ・シンニュウ・ハコガマエ…」というように、呪文のように配列を覚えるのです。
その並びさえ覚えると、漢字ばかりが並ぶ文字盤の中から瞬間的に、文字が探せる特殊な脳力が発揮できます。
いまでこそパソコンのキーボードで文字入力すれば、画面上に文字が変換されて出てくるのですから、技術の進歩は素晴らしいですね。
わたしの写植オペレーターの人生も10年くらいで幕を閉じました。
元写植オペレーター働く希望を見失う
写植の仕事を辞めて以来働きたい仕事もなく、仕事がつまらないと思いながら、様々な職業を経験して就転職を繰り返してきたのです。
人生目的を見失うと、そこから新しい生き方を探すことの難しさを感じています。
自分としては何かを作るという物作り的な仕事が好きだったのですが、そういった仕事を探しても技術も資格も特技もないと、就職できないのです。
40歳を過ぎると年齢的なこともあって、再就職の難しさを感じましたが、何か仕事をしないと収入が得られません。
どうしても仕事が見つからずにいたら、パソコン教室の受講を紹介されました。
ハローワークで仕事を探しながら、失業給付金をもらいながら、パソコンでワードやエクセル、パワーポイントを覚えるチャンスがあったのです。
しかし、パソコンが使えても就職に活かせることはありませんでした。
それでもパソコンの素晴らしさには興味があって、何かできそうな気がしたのです。
そして、運命の出会いというか趣味でホームページを始めてみました。
元写植オペレーターホームページに夢と希望を見つけた!
元写植オペレーターとしては、ホームページ作りがわたしの脳みそを刺激するのです。
実際ホームページ作りを覚えながら、サイトを作っていると、写植を学んだ頃の記憶と重なって楽しくなってきました。
この時に、わたしが今後やりたい仕事は、ホームページ作りだと気づいたのです。
でも、年齢も50代ではどこも雇ってくれませんし、だからといって自分で営業して仕事を取る勇気ありませんでした。
そう、もと元写植オペレーターは人と関わることが苦手なので、できれば個人でもできる物作りが好きなのです。
50代はホームページ作りを趣味として楽しんでいましたが、仕事もせずにいたので貯金が心細くなってきました。
元写植オペレーター「Google AdSense」に出会う!
お金の問題を何とかしないと大変だと思って、ネットで探し始めたのです。
すると「Google AdSense を使用してウェブサイトを収益化」という文字を見つけました。
個人でもホームページがあると、収入を得られるということを知ったら、再び夢と希望が脳みそ内に充満してきたのです。
さっそく新しくホームページを作って、Google AdSenseの審査を受けてみました。
今はアドセンス審査も厳しくなったと聞きますが、その当時は意外と簡単に審査が通ったのです。
以来ホームページ作りに没頭して、本気でサイト作りを仕事にする覚悟で、準備を進めていました。
そして元写植オペレーターは、60歳からアフィリエイトの世界に足を踏み入れたのです。
元写植オペレーターが人生を振り返る
61歳から年金を受給しながら、個人事業主として開業届を出して自営業として、アフィリエイトサイト作りをしています。
自分がやりたい仕事を選んで、写植という技能を身につけたはずなのに……。
写植オペレーターの仕事が、なくなる職業だったなんて、パソコンという不思議な機械が現れるまでは想像もできませんでした。
パソコンというより富士通のワープロOASYS(オアシス)が現れた時、写植の時代は終わったと思ったのです。
なぜかというと、写植は文字を一文字一文字文字盤から探し出して、印画紙に焼き付けるアナログ作業でした。
ワープロの場合キーボードで文字を入力すると、画面上にきれいに変換されて並んでいるし、その文字データが保存できるのですから、未来の印刷技術がどうなるか想像すればわかります。
案の定それから数年後には、パソコンを使って電算写植が主流になって、手動写植というアナログな時代の終わりがやってきました。
そういった時代の末端で印刷物の版作りをしていた元写植オペレーターが、60歳からパソコンを使ってアフィリエイトを始めています。
66歳の今は年金プラスネット収入で暮らせているので、60歳の時のパソコンを使った仕事の選択は間違っていませんでした。
やはり仕事は自分が好きなことをやるのが楽しいですね。
趣味としてこんな感じのサイトをワードプレスで作っています。
メイド・イン・日本食
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