「ひ孫」まで続く、壮大な命のリレーを眺めて

私の周りにも、若くして結婚し、今やひ孫の顔を見ている幸せな知人がいます。
子、孫、そしてひ孫。集まれば20人近い大家族。
その賑やかさは、独り身の私からすれば、眩しいを通り越して、どこか別の惑星の出来事のようにも見えます。
しかし、その「幸せの縮図」の裏側で、彼らがふと見せる「曇り顔」に、私は独り身ならではの冷静さで気づいてしまうのです。
喜びの数だけ、貯金が「削られていく」現実
年金生活、特に私のように月9万円ほどで暮らしている身にとって、お金は「減る一方」の貴重な資源です。
一人なら、その資源をどう配分するかは自分次第。しかし、多世代家族の頂点に立つ人々は、そうはいきません。
お祝いの連鎖: 入学、卒業、就職、結婚。孫の数だけならまだしも、ひ孫まで加われば、カレンダーは「お祝い事」で埋め尽くされます。
見栄ではなく「愛情」という名の義務: 「おじいちゃん、おばあちゃん、ありがとう」という純粋な笑顔。
その笑顔を守るために、彼らは自分の生活費を削ってでも、祝儀袋に万札を包むのです。
愛情は無限に湧き出てくるけれど、銀行口座から湧き出てくるのは、寂しい残高の数字だけ。
まさに「貯金は、愛情より先に底をつく」という残酷な計算式が、そこには存在します。
「独り身」が手放した賑やかさと、守り抜いた平穏
ひ孫までいる知人は、よくこう言います。
「あなたは気楽でいいわね。誰にも何も言われず、自分のお金を使えるんだから」
その言葉には、本音の羨ましさが混じっています。
確かに、私には孫におもちゃを買ってやる喜びはありません。ひ孫の成長を祝う感動もありません。
しかし、その代わりに私は、「明日の自分のパン代を、誰かのお祝いのために差し出さなくていい平穏」を守り抜いています。
人生は、どちらかしか選べないのです。
「賑やかな破産」か、「静かな自立」か。
結論:一番の孝行は、最後まで「自分のお金で生き抜く」こと
多世代に囲まれる旦那様、奥様。
ひ孫に何かを買ってやりたい気持ちは尊い。でも、どうか忘れないでください。
貯金が底をつき、あなたが誰かの扶養に入らざるを得なくなった時、その負担は結局、あなたが愛してやまない子や孫、ひ孫たちの肩に重くのしかかるのです。
「愛情があるからこそ、お金は自分のために残しておく」
それが、100歳まで続く家系図の頂点に立つ者に必要な、最も気高い「覚悟」ではないかと、私は思うのです。
ひ孫までいる賑やかな暮らし、皆さんはどう感じますか?
「それでも孫の顔が見られるなら本望」か、それとも「独り身の気楽さが少し羨ましい」か。
ぜひ、あなたの「幸せの現在地」をコメント欄で教えてください。
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