「自由の翼」と「孤独の重み」を量りにかけて

先日投稿した独り身の「気楽さと寂しさ」、夫婦の「衝突と絆」についての記事に、多くの反響をいただき、やはり皆さん、この「天秤」の揺れには敏感なのだなと改めて感じております。
独り身の寂しさは「自由を楽しむための入場料」
私のような70代の独り身にとって、自由は空気のようなものです。
朝から晩まで自分の好きなことだけを考え、誰に気兼ねすることなく年金9万円の範囲で遊び、暮らす。
この「気楽さ」は、一度味わうと病みつきになります。
もちろん、ふとした瞬間に静寂が重く感じられる夜もあります。しかし、最近はこう思うのです。
この寂しさは、誰にも縛られない自由を享受するための「入場料」のようなものだと。払う価値のある、ささやかな代償なのです。
夫婦という名の「止まない雨」を眺めて
一方で、「夫が嫌い」という女性たちの切実な叫びについても書かせていただきました。
こちらもまた、独身の私には想像も及ばない「激しい荒波」が漂っており、大変驚かされました。
夫婦の衝突は「まだ関心がある」という証明か?
30年、50年という歳月をかけて、心の底に澱(おり)のように溜まった「不満の種」。
それが何かのきっかけで芽を出し、荒れた天候のように家の中を飲み込んでいく。
私から見れば、夫婦の衝突は一種の激しいエネルギーのぶつかり合いにも見えます。
互いに波風を立てながらも、同じ屋根の下で暮らし続ける。
それはそれで、凄まじい忍耐を必要とする「絆」の一種なのかもしれません。私にはその気力も、波を乗り越える根気もありませんが……。
正解のない人生を、自分らしく歩き抜く
自由を謳歌する独り身と、ぶつかり合いながらも添い遂げる夫婦。
どちらが「勝ち」でどちらが「負け」という話ではありません。
ただ、私には今の「無責任な自由」が何よりも馴染んでいる。それだけのことなのです。
自分の「幸せの天秤」を大切にしたい
ネットに溢れる夫婦の不満を読み、独り身の自分の部屋を見渡す。
そこにあるのは、静かすぎるけれど、誰にも汚されない私の人生です。
70代になり、人生のカウントダウンを感じる今、私はこの「天秤」を無理にどちらかに傾けようとは思いません。
自由の軽やかさを楽しみ、たまに訪れる寂しさをスパイスとして味わう。それが、私なりの歩き方なのだと思っています。
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