50代後半の失業。「なんとかなる」と思っていた自分への警鐘

50代後半で職を失ったとき、私はどこかで「そのうちまたどこかに決まるだろう」という甘い考えを持っていました。
しかし現実は厳しく、減っていく貯金通帳を眺める日々。
「実家に帰りやすい場所へ」と引っ越しを決めたのは、せめて母の近くにいようという、半分は逃げのような、半分は親孝行のような、曖昧な決断からでした。
母と一緒に農作業を手伝う時間は穏やかでしたが、母の目には「仕事をしていない息子」への隠しきれない不安が映っていました。
「介護」と「お金」。突然突きつけられた2つの現実
転機は、突然訪れました。90歳を超えた母が急病で救急搬送されたのです。
幸い一命を取り留め、経過も良好でしたが、病院から提案されたのは「介護施設への入居」という選択肢でした。
そのとき、頭をよぎったのは、情けないことに母の体調よりも「お金はどうするのか?」というリアルな恐怖でした。
実家に戻った母は元気を取戻してくれましたが、もし今、私が本気で動かなければ、母を支えることも、自分自身の未来を守ることもできない。
その時初めて、私の心に「本気の火」がついたのです。
20代から30代の経験を「武器」に。選んだのは在宅での仕組み作り
介護が必要になるかもしれない生活の中で、外に出てフルタイムで働くのは体力的にも精神的にも限界がある……。
そう考えた私が行き着いたのが、パソコンを使った在宅での個人事業でした。
かつて印刷業界に身を置いていたこともあり、ホームページ作りには馴染みがありました。
ただ、それはあくまで趣味の延長。「これで稼ぐ」なんて、最初は夢物語のように思えました。
私が挑戦したのは、自分のサイトを育てて収益化する「Google AdSense」という仕組みです。
貯金が底をつく不安の中で、ひたすらキーボードを叩いた1年
それからは、なりふり構わず没頭しました。しかし、収益はすぐにはついてきません。
1年間、毎日記事を書いても結果が出ない日々。貯金は減り続け、精神的にも追い詰められていきました。
私を支えてくれたのは、幸いにも元気に過ごしてくれていた母の姿と、61歳から受給できた年金という最低限のベースでした。
「今ここでやめたら、もう次はない」
その一心で2年継続した頃、ようやくネットからの収益だけで生活ができる環境が整いました。
母の介護が本格化する前に、場所を選ばず働ける環境を作れたことは、何物にも代えがたい「自信」となりました。
70代の今、振り返って思うこと
実家に光回線を引いてからは、母のそばでパソコンを叩きながら、合間に農作業を手伝うという、かつては想像もできなかった生活が実現しました。
母は最期まで自分の足で歩こうとする強い人でしたが、最後に見送るその時まで、私は自分の仕事を持ちながらそばにいることができました。
人生、いつどこで「本気」のスイッチが入るかは分かりません。
私の場合は、それが60代という少し遅いタイミングでした。
でも、あの時、崖っぷちでチャレンジした経験があるからこそ、70代になった今の自分を一番信頼できています。
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