親の介護を甘く見ていると、介護の大変さの現実に直面した時、精神的ストレスが容赦なくあなたの脳みそをいら立たせてくれるかも知れない。
今まで感じなかった介護ストレスが、体と脳みそを刺激するからだ。
なぜこんなにも親の介護にストレスを感じてしまうのか、おそらくあなたはまだ経験していないかもしれない。
親の介護の大変さに気付いたとき、あなたはそのストレスにどう向き合うか、今から考えておく必要がありそうだ。
親の介護は誰にとっても大変なこと
特に、目や耳が悪くなり、足腰が弱くなり、入れ歯が合わなくなって、食事も楽しくなくなって、様々なことを自力ですることが難しくなると本人も大変だし、介護する側の負担は大きくなる。
親が介護を必要とするようになったとき、最初は、親の介護をするのが当たり前だと思うものだ。
しかし、介護を続けていくうちに、親の介護は、とても大変なことだと感じるようになって、ストレスが半端ない。
親の介護で感じるストレスは身体的負担
親の介護で感じるストレスのひとつは、身体的負担だ。
親が介護を必要とするようになったとき、介護する側は、親の食事や排泄、入浴、移動などの介助をしなければならない。
これらの介助は、肉体的にとても負担が大きいのだ。
親の介護で感じるストレスは精神的負担
親の介護で感じるストレスのもうひとつは、精神的負担も大きい。
親が介護を必要とするようになったとき、介護する側は、親の介護に常に気を配り、親の体調や気持ちに気を遣わなければならない。
これらのことは、精神的にとても負担が大きいだろう。
親の介護で感じるストレスは経済的負担
親の介護で感じるストレスのひとつには、経済的負担もある。
親が介護を必要とするようになったとき、介護する側は、親の介護費用を負担しなければならない。
介護費用には、介護保険を利用した場合でも、高額な費用がかかる。
年金だけでは足りないとき、仕事での収入がないとかなりのストレスを感じることは間違いない。
介護の終わりが分からないだけに、お金の問題があると精神的にもストレスになるので、この問題は重要だ。
親の介護で自分の生活を犠牲にする
親が介護を必要とするようになったとき、親の世話をするために、自分の生活を犠牲にせざるを得なくなる。
仕事を休んだり、休暇をとったりすることが難しくなるが、仕事をしていられる状況ならまだ介護の段階としても楽なほうかも知れない。
また、親の介護のために、家事や料理、掃除などの日常生活のほとんどをこなさなければならないのも大変だ。
親の介護は、肉体的な負担も大きく、親を抱きかかえたり、車椅子を押したり、階段を昇降したりするなどの重労働を強いられることがある。
また、親の排泄物を処理したり、おむつを替えたりするなどの、精神的にも負担となる作業もある。
親の介護をしたくない気持ちが強くなる
親の介護をしていると、親の体調の悪化や、病気の進行を目の当たりにすることになる。また、親が認知症を発症したり、寝たきりになったりすることもある。
親の介護は、誰にとっても大変なことは間違いない。
認知症を発症した介護の現実に向き合った人は「もう介護をしたくない」気持ちが強くなり、ストレスが溜まってくだろう。
親の介護は、介護をする者の心を疲弊させ、介護うつなどの精神疾患を引き起こすこともある。
親の認知症を支え続ける介護は、とても大変なことで、親との楽しい思い出も消え失せてしまうかも知れない。
【親の介護体験】聞き分けのある状態ならストレスは少ない
親の介護でも、まだ聞き分けのある状態なら、仕事と介護の両立も可能だが、ひとたび認知症の兆候が出てくると、介護の難しさを感じると思う。
だからと言って介護離職して在宅でできる仕事を探したとしても、落ち着いて仕事ができないだろう。
仕事などしている場合ではなくなるというのも、精神面のストレスが積み重なってくる原因の一つだ。
わたしの経験では年金とネット収入があると、親の介護に専念できるので、仕事をしなければというストレスはない。
そう言った意味で親が元気なうちに、アドセンスやアフィリエイトで収入源を作っておくと、親の介護をしているときに生きてくる。
介護は性別や年齢そして体格による大変さ
認知症で足が丈夫なら勝手に外に出て徘徊する人もいると聞くし、どこに行ったのかわからないとなるとこれも大変なことだ。
親の介護といっても状況は人それぞれ違うだけに、解決策を探すのも大変だと思う。
性別や年齢そして介護する人の体格などによって、介護する大変さも違うので実際に介護して気づくことが多い。
わたしの場合は、90代半ばの母親の介護でも体は小さく、体力面での負担はそれほど感じない。
もし今介護施設に入れば、ベッドで寝た切りで移動は車いすになることは明らかだ。
一日の生活パターン
わたしの親の場合は、補助をすれば自力でできるので、今はまだ在宅で介護している。
一日の生活パターンは次のような感じだが、この生活の中に介護の難しさと、本人の苦悩を感じるようになってきた。
- 朝7時に起きてトイレを済ませる
- 居間で朝ご飯を食べてから血圧を下げる薬などを飲む
- 9時から10時あたりで水分補給やお菓子などを食べる
- 昼ご飯を食べる
- 2時から3時には水分補給やお菓子などを食べる
- 5時半から6時には夕ご飯を食べて薬などを飲む
- これ以外は数回トイレに行くか、ほとんど寝ていることが多い
- 夜7時半ぐらいになると紙パンツを履き替えて就寝時間となる。
なんの楽しみもなく一日を過ごす
風呂は月に数回入るだけ、一日中パジャマで過ごす生活だ。
目や耳も悪くなってくるとテレビという楽しみもなくなってくる。
昼間は居間で三度の食事をして、眠っているのが日常になっている。
親が自分でできて聞き分けができるうちは、介護もそんなに大変だとは思わなかった。
しかし人間はどんどん老いてくる。
自力でできない苛立ち
今まで自力でできたことができなくなり、次第にいらだちをあらわにするようになってきた。
風呂も数年前は毎日だったが、脚力が弱くなると次第に1日おきとなり、そして入らなくなった。
もう笑顔を見せることはほとんどない。
話しかけても聞こえない。入れ歯も合わなくなって、食事の時以外は入れ歯を外した生活だ。
歯がない状態では言葉も聞き取りづらい。
食事の時入れ歯を口に入れるだけで、気持ち悪いのだというから、食事どころではない。
入れ歯を外して柔らかいものを少し食べるだけだ。
歯のない状態で物をかむことの大変さは、本人だけが知っている。食べたものが口から出てしまうからだ。
うまくいかないことに興奮して、スプーンが使えなくなる。
口からこぼれ落ちた食べ物を手でつかんで口に入れる。本人は必死だ。
昼夜逆転した日常が当たり前となる
昼間寝てしまうので、どうしても夜眠れないらしい。夜になるとことのほか元気だ。
夜中の時間帯に関係なく、足をばたつかせて奇声を発する。
蛍光灯の明かりをつけたり消したりを、1時間、2時間と繰り返す。
だからと言ってできないようにすると、さらに騒ぐことになって始末が悪い。
同じ部屋で寝てみて行動を観察してみた
耳が聞こえない状態で夜一人になった気持ちはどうだろう。
眠れないと「寂しい」気持ちが出て、誰か来てくれることを期待しているのかも知れない。
「寂しい」から騒ぐみたいだ。「するな!」「やめろ!」「早く寝ろ!」という言葉は逆に刺激を与えて興奮させてしまう。
できる限り落ち着かせる言葉をかけてやるのが、少しは効果がある。
昼夜逆転した日常が当たり前となると、介護する側の夜の眠りが浅くなる。
夜中2時ごろになると疲れてくるのか、おとなしくなることもあって、しばらく眠るチャンスがやってくる。
朝の5時から6時くらいになると、また騒ぎ出して目が覚める。
起きたことを確認すると安心したのか、朝方に少し眠るみたいだ。
そして7時ごろに起きる。
布団に寝ている姿は、まるで子供の様な小さな体だ。
小さな体を起こして、トイレまで連れて行って、今日もまた親の介護の一日が始まる。
月に一度くらい見せる笑顔が介護のストレスを解放してくれることもあるが、90歳を越えた認知症の親の介護は精神的に大変だ。